前回からの続き
では、UDXを後にして、中央通りのほうに進みます。通りに出ると総武線がかなり高度感のあるガードで中央通りを越えています。
ガード自体に何の表示も無いのが残念ですが、このガードは名称を「御成街道架道橋」といいます。
ここを通っていた「下谷御成街道」というのは、徳川将軍家が上野の寛永寺に参詣するときに利用していた道です。付近の土地の区画は当時と大幅に変わってしまっていますが、ガードの名称に僅かにその痕跡が残っているわけですね。
では、その下谷御成街道の痕跡を江戸城側に向けて進んでみましょう。江戸城向きに進むと直ぐに神田川=外堀に突き当たります。そこには当時、筋違(すじかい)御門があったはずですが、
写真を撮っている昌平橋と向こうに見える万世橋との間の位置がその場所になりますが、今となってはその痕跡の一つもありません…
秋葉原と反対の神田よりには、唯一それがあった事の証しとして、案内板があります。
でも門があったと思われるところは、
この通り、中央線の高架橋でガッチリ遮断されてしまっています。付近の道形も当時とかなり変わってしまっているようですね。
では秋葉原方向に戻ることにしましょう。
直ぐに先ほどの御成街道架道橋から続く総武線の高架橋が現れます 。駅が向こうに見えますね。
で、その高架橋にこのようは表示が…
旅籠町高架橋とあります。
以前はこの付近は「神田旅籠町」と言う地名だったのです。
先の筋違御門は実は、下谷御成街道の経路のみならず、五街道のひとつの中山道、そして日光御成街道の経路でもありました。その門をを出てすぐの場所であったため、江戸中期ごろにはこの場所には沢山の旅籠がが並んでいたようです。ただし、大火などの影響で移転し、江戸末期には既にこの場所には旅籠が無くなっていたとか…
今も変らず、直ぐそばを国道17号(日本橋-高崎までは=中山道)が通ります。
では、北のほうに歩を進めます。
キャラフレ秋葉原マップでも北の端にある公園まで進みます。
マップと90度見ている方向が違っているので、同じ場所感がないですね、すみません。
キャラフレでは全く触れられませんが実はここは…
「南総里見八犬伝」などを著した滝沢馬琴の住居跡だったのです!12年ほどここにいたようですね。
では、これにて秋葉原歴史散歩終了です。わたしもパーツ屋とか○きばO~とかいろいろ見ることにします…と思ったらまもなく日没><
夜を迎えて秋葉原はますますカオス空間に。そろそろ帰りましょう。
完
Posted by リセエンヌ
—-おまけ—————————————————————
ずっと常設ですけど、最近何もないですね。確か初年度は、ここからキャラフレログインすると「なごみちゃん」もらえるイベントあった気がするんですが…
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そして
でもちょっと真ん中左下寄り…何か見えませんか?
そうです!あの白河の小峰シロちゃんです!
ラジオ会館の1Fお土産ショップには、小峰シロ酒各種と、小峰シロTが売られているのでした!
秋葉原ではほかに「PLUM SHOP」というお店に小峰シログッズがあります。(むしろこっちのほうが種類は多いですかね)